児島のジーンズ産業の強さの秘密~NHK BSプレミアム「イッピン」 | 児島のジーンズでいこう!

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NHK BSプレミアムで紹介された倉敷市児島のジーンズ産業について。ジーンズという夢を支える職人の想いに感動しました。

2年間毎日履きこんで色落ちしたジーンズは0705SP

2013年6月11日にBSプレミアム「イッピン」で、岡山県倉敷市児島のジーンズが取り上げられました。

番組のサブタイトルは「デニムに愛をこめて~岡山 倉敷のジーンズ~」でしたが、実際に取材されたのは児島。児島はいまでこそ倉敷市の一部ですが、市町村合併前は倉敷市とは独立した市町村だったんですよ。

児島のジーンズ産業はスペシャリストの分業体制がカギ

イッピン!では児島におよそ40もの日本製ジーンズメーカーが集まっていると紹介されました。ではなぜ、児島にジーンズメーカーがたくさん生まれるのか?

よく言われているのは、児島が戦後から学生服の一大産地で最盛期には日本中のシェアを独占していたほどだったということ。生地づくり、裁断、縫製に必要な技術が培われた地域であるということです。

その後、学生服の需要が減っていく中で、ある学生服メーカーが当時上野のアメ横で人気だったアメリカの中古ジーンズをほどいて縫製や糸の種類などを研究。そこから初の純・日本製ジーンズが造られました。1973年の話だそうです。

ジーンズ作りには、デニム生地の素になる糸のインディゴ染めの方法、太い糸で厚い生地を織る技術やワークウェアとしての丈夫さを兼ねそろえたジーンズの縫製技術(多種の糸や針を使う)が必要です。

番組では、セルビッチジーンズを専門に縫う工房が紹介され、もっとも難しいヒップの巻縫いが職人にとって何十年やっていても難しい技術を必要とすると説明されていました。

児島には、このようにインディゴでデニム専用の糸を染める会社、その糸でデニムを織る会社や縫製する会社にダメージ加工を専門に手掛ける会社などが多数存在します。ボタンホールやリベット打ちを専門にする会社もあります。

それぞれの会社の規模は小さいのですが、専門分野に特化しているので、メーカーの厳しい要求にもこたえられるのだそう。だから、こだわりのジーンズを作ろうというメーカーがこの町では育つというわけです。

カナダ人バイヤーのジーンズ評

カナダで倉敷のジーンズだけを取り扱うセレクトショップを経営している男性が番組に登場します。

彼は、セルビッチの色、ごつくて厚い生地、ビンテージのファスナーや隠しリベット、チェーンステッチを指さしては、「日本製ジーンズはすべてのディテールに手が混んでいる」と語っていました。

ジーンズは夢、たった一本のジーンズを買うお客様のために縫う

セルビッチジーンズを専門に縫製する工房の職人さんのお話に心を打たれるものがありました。児島のジーンズが日本だけでなく世界から求められる理由もここにあるんだと思います。

それは、縫い上げたジーンズの縫目が素人目には立派に見えても、自分たちが納得いかなければ製品とは認めないというこだわり。小さな縫目の詰まりは、すぐやり直しす。

「だって、お客さんは5本も6本も買わないでしょ。1本しか買わない。洋服は夢です。だから、その人のためにいいものを作ってあげたいんです。」

児島のジーンズは大量生産のジーンズの倍以上の値段がします。ファストファッションと比べると5倍以上。買う人も、次はこれを買うぞ!と目標にしているかもしれません。そして買った後はどんなふうに色落ちさせて自分だけのジーンズにしていこうか考えています。

存在を知る=児島のジーンズとの出会い、から、おそらく一生履き続けるジーンズは、着る人の歴史を刻むもの。時に、夢を共に追う相棒であり、時に夢に破れた自分に寄り添ってくれた存在だったり。

児島のジーンズが世界から愛されるのは、ジーンズ作りという過程を経てたくさんの人の気持ちがそこに込められているからなんだと思いました。

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